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zoom RSS 夏の昼話 ひとひるめ

<<   作成日時 : 2014/08/07 02:54   >>

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さわがに

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 胸の奥に泥が静かに溜まっていく。確かにそれは泥だと思う。蝉の声が聞こえた。サイドミラーを覗くと、夏休みの子供たちが3人ばかり、川沿いの道を歩いているのが映っている。

 木陰も無いコンクリートの川。僕が小学生だった頃には、近所にはまだ土の川が残っていた。カブトムシが採れる木も川辺には何本か生えていたし、川底には沢蟹だって棲んでいた。20年ばかり前のことだ。やがて川をコンクリートで塗り固める工事が行われ始めた。通学路を一緒に帰っていた僕と友人たちは、沢蟹を見つけたら捕まえておいてくれないかと工事の人に頼んでみた。肯いてくれたように思う。でもその後工事の人に会うことはなかったし、僕らも本当に沢蟹がもらえるとは期待していなかったんじゃないかと思う。川辺の木はすべて伐採された。

 ハンドルに手をかける。別に長いこと休んでいたわけじゃない。ただ、ほんのちょっと、目を閉じていたかっただけだ。できれば木陰で休みたかったが、生憎この近くにそんな場所はない。たぶん、停車してから2分か3分くらいしか経っていないはずだ。それでも、その2分だか3分だかは、人に見つかったなら咎められる可能性を持っている。「休んでやがるな」という目が、傍を通る通行人から向けられることがある。仕事の段取りを効率よくつけて、僕が稼ぎ出した3分なのに。今、車の横を通り過ぎた子供たちには、何もしなくとも1ヶ月の夏休みが与えられているというのに。うんざりした気持ちがはっきりとした形を取る前に、頭の中で、午前中に済ませるべき配送先をざっと思い出す。それと、その家々の大雑把な印象を。

 ここいらの家ならもう大概知っている。どんな人間が出てくるかもおおよそわかる。今日の分は、よほどのことがない限りスムーズに行くだろう。宅配を受け取ることに慣れた人たちばかりのはずだ。子供やら耳の遠いお年寄りやらが一人で留守番してることの少ない家。

 ただし夏休みだから、この時間でも、家事で手の離せない母親の代わりに、最初に子供が玄関口に出てくることはあるだろう。子供の顔を思い浮かべる。やや不安そうに、子供なりに相手を推し量ろうとする視線。僕はそれを見下ろしている。僕はもちろん、敬語でその子に話しかけるだろう。そういう人間だから。誰にでも敬語で話す。僕は車を発進させる前に、もう一度だけ目を閉じる。

「夏休みかい? 宿題は早めにやってる?」

 僕は玄関先で荷物を手に抱えたまま、出てきた子供にそう話しかけてみるところを想像する。敬語は使わずに。小学校低学年くらいの男の子は、玄関のドアに手をかけたまま、ためらいがちに頷く。

「カブトムシは採った? プールには今日も行くのかな? 友達と一緒に? 学校の先生はどう? 嫌な奴いるだろ? 殴りたくならない?」

 この子の小さな手じゃ、大人の教師に殴りかかったところで、大したダメージは与えられないだろう。股間を狙うなら別だろうけど。僕が抱えてるこの段ボール箱だって、持て余すに違いない。

「暑いなあ。暑いよ。車に戻ればエアコンは効いてるんだけどね。ほんとは、木陰で休みたいんだ。木陰代わりのエアコンなんだ。ところで、君と会うのは初めてだったよね?」

 男の子の目に浮かぶ不審げな色が濃くなってくる。左足がわずかに後ろに下がるのが目に入る。僕はまだ、彼に大人の家族が家にいるかどうかも聞かない。段ボール箱の、手に触れているところが汗で湿り気を帯びてくる。

「漫画とか読む? 最近買ってもらった玩具は何? クラスに好きな子はいる? 給食はどう? おいしい? おいしくないだろうけどさ。そうそう、スイカ食べた?」

 僕は彼を質問攻めにする。彼は答えない。視線を逸らせないまま、時々あいまいに頷く。僕も彼の目をずっと見つめたまま話しかけている。

「これ、何が入ってると思う? この箱。重いんだよ、結構。君に持てるかな? 持ってみる?」

 彼は困ったような表情を浮かべる。不意に僕の視界は、僕を見上げている男の子のものになる。逆光を受けて、僕の顔と体は影で暗くなっている。白い段ボール箱がその影の中に浮いている。それから僕の視界は僕自身のものに戻る。僕は背に受ける夏の日光を感じる。なぜ木陰が無いのだろう?

「おじいちゃんか、おばあちゃんはいるかな?」

 彼は心持ち首を傾げるようにして、そのまま首を横に振る。

「もういない? この家には? それとも、最初からいなかったのかな? 会ったことはある? 死んじゃった? どんな死に顔だった? 真っ白だったかい? 寂しそうじゃなかった? 触ってみた? 冷たくて、固くて……」

 彼の顔は不安から恐怖の色に変わっている。僕は屈みながら彼にこう言う。

「沢蟹って、捕まえたことあるかい? きれいな川に棲む小さな蟹だよ。ほら、聞いてごらん」

 僕は彼の耳元で、段ボール箱を揺すって見せる。がさがさと、あるいはじゃらじゃら、という音がする。

「この中にはね、沢蟹がいっぱいに詰まってるんだ」

 日差しがさらに強くなる。僕の影はどんどん暗さを増してゆく。子供は怯えている。段ボール箱の底は水で滲み、隙間からはぽたぽたと水滴が落ちている。これはもう手の汗じゃない。中の蟹達から漏れたものだ。底の方の蟹達は潰れているだろう。箱の底に貼られたガムテープが剥がれてしまいそうな予感がする。

「お届け物です」

 僕はそう言って、箱を彼の頭上に掲げる。その瞬間、底のガムテープが剥がれ、中に詰まっていた大量の沢蟹が、砂利のような音を立てて彼に降り注ぐ。彼の姿はすっかり蟹に埋もれて見えなくなる。その蟹の山からは、泥水のようなものが染み出してくる。それは僕の足元にまで流れてくる。生臭い匂いが鼻をつく。目を開いても、大量の蟹の蠢く音と、生臭さとが、いつまでも頭に残っている。僕は蟹達が、胸の奥の泥を掻き出してくれないかと淡く期待して、また目を瞑る。

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