お正月の読書感想文

迷宮 清水義範

 真実を知りたいと思うあまりに妄信してしまう。わかりたいと思うあまりに誤解してしまう。人は大切なことを、わかっていてもつい忘れてしまう。気づいた時には、落とし穴の上に足をかけている。

 内容とはやや離れますが、巷のレビューの数々までもが、この作品の一部なんじゃないかと錯覚しました。

 本屋に行くと大抵漫画しか買わないのですが、清水さんの小説だけは新しいの出てるかなーと文庫の棚をちょっと覗きに行きます。先日見かけたこの本は新作かと思ったら、2002年の作品でした。どうりで物語に描かれる風景に古さを感じたわけです。ストーカーとか、留守番電話とか。ちなみに、1999年にはセンセーショナルに報道されたストーカー殺人事件が起こり、翌2000年にはストーカー規制法が施行されていました。

 あらすじ……記憶喪失を病院で治療中の男が、とある猟奇的な殺人事件に関わる文書を読まされる。それは治療のためだと「治療師」は言う。男はそれで本当に自分の記憶が戻るのか怪しみつつも、様々な人々の視点から語られる、殺人事件に関する文書を読まされ続けてゆく。その過程で、殺人事件の真相と「私」そして「治療者」の正体がうっすらと影を見せ始める。

 「迷宮」というタイトルがぴったりだと思いました。あまり小説を読まないからかもしれませんが、僕は終始、いいように迷わされまくりでした。

 そして迷宮からは抜け出せない。文章はさすがに上手く巧みで、引き込まれながら一気に読めたのですが、全然すっきりしないラスト。事件の真相は明らかにならない。正確に言えば、読み手にとって明らかだと思われた真相が関係者の視点(証言や供述など)を移ることによって次々に微妙に形を変えてゆき、そもそも真相なんてあるんだろうか、というところまで誘導される……と思います。

 ラストまでの過程で散々に疑心暗鬼にさせられ、自分の解釈に自信が持てずにいます。事件が起こった、謎は解けた、エンディング、というカタルシスを感じられる内容ではなかったです。でもそれまでがすごく楽しいというか、迷わされ甲斐がありました。描写にさりげない説得力があり、あっという間に登場人物に共感できるし、罠にコロッと引っかかってしまえたような気がします。

 迷う中でも発見があります。あるからこそ迷うのですが。マスコミ、証言、供述……偏見や先入観や誇張に騙されまいと疑いながらも、どれかが事件の真相を語っている、あるいはどこかに真相が見えているはずだ、とつい思い込んでしまっている、勝手な物語を頭の中で描ききってしまっていた自分に、不意に気づかされます。悔しいので認めたくないのですが、考えても見なかった事実がひょっと出されたとき、そういったことを痛感しました。人はそういう、自分が納得する物語を欲してしまうのだということの危うさが見事に表現されていると思います。知ろうとして前のめりになっていた勢いを逆手に取られて、投げ飛ばされてしまったような気分を何度か味わいました。

 ネットでレビューを探すと、オビの煽り文句に騙された! という感想が多いですが、最初からどこまでも迷宮……と覚悟して読み始めれば、期待感の裏切りはある程度回避できるかもしれません。オビって騙されるためにありますよね……。

 幸い、僕はオビあんまり見なかったので、オビに裏切られたという気はしませんでした。期待としては、清水さんならタイトルに違わず、気持ちよく迷わせてくれるんだろうなというのを持ってました。その意味では期待外れでは全然なかったと思います。

 たしかに最後は、これで終わり? と、肩すかしをくらったような気になります。続きがあるはずじゃないかな……と思う。期待を裏切られるというのは、自分の想像していた物語と違ったからですね。いつの間にか、信じていいはず、受け入れていいはずと思い込んでしまっていたものが否定され、困惑する。この肩すかしも意図的なものなのでしょうか。読み手が読み手自身を省みるように仕向けられてる気がします。

 それで迷って、つい読み返す前にネットで書評やら感想やら解説やらを探してしまったのですが、好意的だったり批判的だったり、十人十色なレビューをざっと読んでいると、小説内の事件の関係者の様々な発言とダブって見えてしまいました。

 本の内容が事件、レビューが証言みたいに感じられました。レビューをいくら追ったところで、本の実際の内容は見えてこない。それどころかいくつもの本の姿が見えてくるようで、迷ってしまう。そりゃレビューなんて当然そういうもんだろう、と思われるかもしれませんが、この本を読んだ後だと、そして清水さんがパスティーシュの名手であることを連想したとき、現実を緻密に模倣した物語が逆に現実に繰り返されてるような、妙な気分になったのです。

 清水さんならもうそういう作品作られてそうだなあ。架空の本のレビューを題材にした小説……と思ったら、もうそういう本は海外の作品であったんですね……。そういえば前買ったっきり読んでないや……。

 この感想もそういったものの中の一つです。自分でもなんとなくわかるくらい、小説の一面しかとらえられていません。僕にとっての納得できる物語として。幸い、事件と違って本は実物を読めるので、もしこの記事を読まれて気になった方はいかがでしょうか。一晩で読めると思います。再読にもう一晩必要かもしれません。

 10年前の本なのに書店に平積みになっていて驚いた、というレビューも見かけましたが、供述調書が信じられず、ストーカー殺人事件が起こり、インターネットでは情報が氾濫する時代に復活させる意味のある本だと考えられたのでしょうかね。推測。

 しかしこんなん読んだ後じゃ、もし裁判員に選ばれたときにとても判断できやしないんじゃないかと思わされました。

 あと、これは小説、架空のお話なんだと釘を刺されたような気がします。これを読んだことで、まるで現実の事件をひとつ眺められたと思わないでほしい、と言われたような。僕にとっては。でも実際現実に、バイアスのかかった報道があり、警察が嘘をつき、一般の人も自分で作った物語を話し、被疑者の供述を(僕たちは)おいそれと信じない。こんな小説なんてただの作り話、とは突き放せない。















以下は物語の具体的な設定に関わっている可能性がある文章なので、未読の方の閲覧は推奨できません。既読の方には、読解についての間違いなどの指摘あるいは同意などしていただけたら幸いです。よくわからなかった……という方と一緒に考えたいところでもあります。
















 僕にとっての「わかりやすい物語」として考えました。そうするしかないような気がします。

 記憶喪失の「私」は殺人犯の井口克巳であり、「治療者」は事件の真相を追う小説家の中澤博久。井口の記憶は戻っていない。もしくは、戻っていたとしても心神耗弱を装うだろうから、どちらにしても真相は語らない。

 中澤はマスコミによる事件の真相の断定的な解説に異を唱え、独自に事件の真相を追うという、読者が感情移入しやすいキャラクター。だが、実は中澤も「自分にとってのわかりやすい物語」をあてはめようとしていた。そのため、取材などを経てその物語と齟齬を生じる事実が出てくると戸惑ってしまう。さらに、現代人の苛立ちを書きたい、などといった小説家としての自身の欲求や焦燥感ともあいまって、いっそう自分の作った物語に固執し、暴走していく。

 何が真相なのかわからなくなった中澤は、最後の手段として、記憶喪失となった犯人の井口に直接会い、自分の書いた事件に関する文書を読ませることにより、加害者本人から(自分の描いた物語と合致する)殺人事件の真相を思い出させたいと画策する。

 しかし、唯一真相を直に聞きだし、知ることができると考えた相手は、何も語れない(語らない)。やがて先輩作家の須藤の覚え書から、中澤の書いた文書の信憑性が失われる。そして小説のラストでは、それでも本当は君(井口)だけは事件の真相を知っているんだろう、記憶喪失は装っているだけなんだろう、と、そこに至ってもまだ自分の物語に執着し、更に新たな「自分にとって納得できる」物語を作ってしまう中澤の姿が、井口の「くっく」というこぼれ出た笑みによって描かれる。

 結局、視点が違う上に捏造の疑いさえある数々の証言や供述調書などによって、事件の見方をその都度変えられ、振りまわされてきた読者は、最後まで事件の真相(=わかりやすい物語)を得られず、まるで迷宮に入り込んだような混迷に陥ってしまう。

 どこまでいっても人の言葉を信じられない。真相なんてわからない。疑う目は養われた、でも、だったら、判断を迫られた時一体何を根拠に行動したらいいのか。




 好きな作家さんだという贔屓目や、僕の頭の問題なんかももしかしたらいくらかあるのかもしれませんが、実に文章が巧みで丁寧だなと感じ、おそらくは作者の思惑通りに引き込まれました。オビ見ちゃだめですよ! あんなん人を引っ掛けるだけのもんなんだから! ……なんて、わかってても騙されるんですけどね。僕自身、経験多々。そういう、人を惹きつける言葉(説明)の危うさなんかもこの小説は間接的に指摘してるかもしれません。

 中澤による、週刊誌やコメンテーターによる安易な思いつきの感想や受け入れられやすい一般論からの、断定的な事件の真相についての語り方を批判する見解には簡単に同意してしまえました。あっちは出鱈目だから、じゃあこっちは真実なんだろうとつい思ってしまう。そのため、ほとんど中澤の書いた文書を疑いませんでした。このキャラクターが事件の真相を最後にはちゃんと明らかにしてくれるんだろうなと思い込みました。

 あるいは、「私」がなんらかの結末をきちんと語ってくれるなどして、カタルシスを感じられると思ってました。その点においては、期待外れでした。

 供述証書についても、これでほとんどわかった、というような気になってしまいました。「まだ理由がわからない」という「私」の意見に驚いたくらいです。僕の、「納得できる説明」の受け入れレベルはかなり低いのかも。

 ネットでちらっと見たのですが、雑誌掲載時には、「超末法アナグラム」というシリーズ名だったようです。末法の意味はよくわからないのですが、教のみが存在して悟る人がいない、釈迦の教えが及ばない時期、ということらしく、つまりこの小説にあてはめると、真相を知る人はおらず、事件を説明する言葉だけがただそこにある、ということでしょうか。アナグラムは、単語や分を並べ替えて違う意味のものにすること。なんとなくこの小説を表してるのかなと思えました。

 登場人物の名前ももしかしたらアナグラムなんでしょうか。それとはちょっと違うけど、鹿石が歯科医師(井口の父の職業)とか、宇野充雄が「鵜呑み」を含んでるのかなと思ったりしました。


 須藤の覚え書にあった、中澤の取材記録内の改変箇所というのは、中澤がラストでも使った「くっきりと」という言葉が同様に使われている箇所でしょうか。中澤が、自身の物語を裏付けてくれそうな関係者の発言を、ことさら強調しようとしている箇所かなと思います。

 小説が書かれた時代背景として、99年の桶川ストーカー殺人事件があるのではないかと思います。警察が告訴状の改竄をしたり、被害者に親身に取り合わなかったり、強くバイアスの掛かった情報をマスコミに流し、マスコミは大した裏付けも取らずに煽情的な報道をしたようです。大衆の印象は、一方的に殺された、か弱い気の毒な被害者というものから、被害者にも落ち度があるというか、巻き込まれて相応な生活を送っていたのじゃないかというものへと変わったと推測できます。そういった事件の印象の変更は、この作品のテーマと重なりそうです。

 作品内の事件の素材として使われているのは、これだけではなく、たぶん他のいくつかの実際に起こった事件のものもあると思います。たとえば、身体の一部を切り取ったのは阿部定事件、数十巻のビデオテープは宮崎勤事件などをヒントにしたものでしょうか。そして、その周辺で作られた、警察やマスコミ、一般の人々の偏向や思い込みなんかも。




 僕はよくネットや新聞で、犯罪事件のあらましとかそれに関するものを、好奇心から読んだりしています。そして、真相とか犯人の心境みたいなものを想像したりする。その時、自分では一切の偏見を捨てて真相をただ知りたいと思っているはずなのに、この小説を読むと、実は自分の中で作り上げた「物語」にあてはまるものを求めていたのかもしれない、と思わされます。

 そういった指摘や警鐘は、特に今のネット時代ではしばしば見かけるものですね。書き込みやら発表やら広告やらの情報を鵜呑みにせず、健康的に疑って自分で真偽のほどを確認し、取捨選択しろというような。

 しかしながら、一応のそういった作業を経たとしても、それでもなおそこにあるのは、わかっているつもり、だったり、自分だけはきちんとわかろうとしている、という思い上がりだったり、「自分にとってのわかりやすい説明」だったりしがちなのかもしれません。そういう、ひと山越えた後の油断みたいなものへの警鐘も、ここでは鳴らされていると思います。

 あんまり考えてると、なんかお説教臭いこと言われてるような気がしてこなくもないです。そういうわけじゃないとは思うのですけども。


 元旦、二日とかけて、何度か読み返しました。そのためか、もやもやはだいぶ解消できたような気がするのですが、そのときに味わえた面白い気分も同時にちょっと忘れてしまって、残念なような、変な気持ちです。

 「同じことが繰り返されてて飽きた」という感想も見かけましたが、僕としてはずっと飽きずにドキドキしながら、少し怖さも感じながら読み進められました。人それぞれだとは思いますが、一応そういった感想も書いておきます。



 「清水義範 迷宮」で検索すればかなりのウェブページが出てきますが、その中で僕が大体賛同できたり、参考になったと思うのは、こちらのサイトさんです。(大体、というのは、僕がそれらのレビューを理解し切れてはいないのじゃないかと思うからです。)僕のように雑多で冗長に書いた感想文と違って、要点をすっきりと説明されていると思います。


yoshir's room

"Archaeological Mathematics"
 さん

 Novel's Room 内、清水義範『迷宮』集英社文庫 2002年

 http://www.minc.ne.jp/~yoshir/yoshir/novel/meikyu.html


読書メーター

祐樹一依 さん
 http://book.akahoshitakuya.com/cmt/12500097


黒猫本棚~読書感想ブログ~ さん

 迷宮 著:清水義範
 http://kurohaneru.blog89.fc2.com/blog-entry-58.html


三浦俊彦の時空間 さん

★清水義範『迷宮』(集英社)
 『すばる』1999年8月号,p.28.
 *虚構を呼び醒ます「事実」と「心の闇」

 http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/meikyu.htm


裸の王様はロバの耳 さん

 『迷宮』 清水義範 [本]
 http://margarita238.blog.so-net.ne.jp/2011-12-01



 ここではリンクを張っていませんが、作品に対する批判や指摘の書かれたレビューも、自分では気づかなかった視点に気付かせてもらえました。また、敢えて突飛な解釈をされたレビューも、面白いなと思いました。

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この記事へのコメント

kenken
2013年01月04日 12:30
おそめですが、
あけましておめでとうございます。
本年も妄想世界の王者でいてくださぃ!(マテ^^v
じきに追っかけますので、そのときはよろしくです♪
Flerov
2013年01月04日 14:49
どうもどうも、あけましておめでとうございます。あまりにも無精で新年のあいさつ記事省いてしまいました。もはや年賀状は来たら返そうという信念のもとに……申し訳ないと思いながらも……昔は自分から出してたのになあ。
妄想なんてわざわざしなくても、現実世界は真実がひとつじゃない空想の世界なのかもと思い始めて頭を働かすことすらいっそめんどうになり、食っちゃ寝食っちゃ寝。酒を飲まずとも酔える。僕は誰。ここはどこ。誰か説明を。やっぱいらない。もうなんもいらない。恍惚の中へ……。おや、誰か追ってくる……。ここにはなんにもないよ……。
kenken
2013年01月05日 01:24
大丈夫年末からこちらもずっと飲み続けてます^w^
珍しく初夢三昧も、いやはやわけがわからないものばかり--v
でもぼちぼちと飲みながら今年もスタートです~
Flerov
2013年01月05日 04:26
初夢…あれ…初夢なに見たっけ…もう5日か…ゲームばっかやってしまった…
新年開始早々、振り返って反省してみたり時間が過ぎるのは早いものだなどと思ってみたりする始末です。まあ、ぼちぼち…いこう。