町人古都

ショートストーリー

 城下町の面影は入り組んだ道路くらいに残された、他にはこれといった見所もない町だ。観光地というよりは商業地として栄えていたようだが、その商業も落ち目にある。

 車の排気ガスでくすんだ街路樹はあらかた葉を落とし、色褪せたシャッターをもう何年も降ろしたままのような店舗がそこかしこに見受けられる。大通りから少し離れれば、もうほとんど人影もない。レンガを敷いた歩道に、冷たいような自分の足音が響く。自動車が一台通り過ぎる。道の反対側の歩道を、中年の会社員がコートの襟を手で寄せ合わせながら、うつむきがちに速足で歩いてくる。

 「よいよーさーれー、しゃん、しゃん」

 歩道に捨てられた空き缶を転がす木枯らしが吹く中、どこかの通りから祭りの掛け声だろうか、調子の付いた男の声が微かに聞こえてくる。賑やかというには程遠く、かすれたような老爺の声に時折、小太鼓の音が混じる程度のものだ。

 耳を澄まし、声のする方を目指して細い路地に入る。道の先はカーブしていて見通せない。塗装が剥げて錆の浮き出た配管が建物の壁を伝っている。商店の奥にある住居部分のすりガラスを通して、食器用洗剤の容器が見える。

 しばらく歩いたところで十字路に当たる。ぐるりと見回すと、それぞれの道の先はやはりカーブなりT字路なりになっていて見通せない。いつしか祭りの声も風も止んでおり、辺りは静まり返っている。空はぼやけたように曇っている。

 左のT字路へ続く方に折れてみる。道沿いの電信柱には、張り紙の剥げ残りが付いている。看板の赤い文字は真っ白に薄れている。人気のない民家の軒先には、劣化して表面に粉が吹きかけたプラスチックのプランターがぽつぽつと置かれ、枯れ切った花の残骸がへばりついている。

 「ぁーそびーましょ」

 女の子の声がする。その方向に目をやると、建物と建物の間に、不自然な空き地がある。広くはない。左の肌色の建物の壁には塗り直した跡があり、右の木張りの壁には焦げたような跡がある。火災で家屋が焼失した場所がそのまま空いているのだろう。地面には、砂利と枯れ草とが淡いまだら模様を作っている。向かい側には低いビルが建っており、くすんだ灰色のコンクリートの壁が視界を遮っている。1階部分には窓がない。2階には窓があるが、内側から窓を覆うように植物の黄変した葉やツルが張り付いている。部屋の中にツタが這っているのだろうか。

 空き地には子供の姿はない。入り口にはほぼ等間隔で数本の木製の杭が打たれ、その間は布を割いたような紐で結んである。杭も紐も、風雨にさらされて黒く汚れている。よく見ると、空き地の隅に子供のものらしい小さな赤い靴が片方だけ落ちている。

 「よいよーさーれー、しゃん、しゃん」

 祭りの掛け声が再び聞こえてくる。先ほどとさほど変わらない距離からだと思われるが、声のする方向は変わっているように聞こえる。声の主が移動しているためか、それとも声が反響するためか、あるいは曲がった路地を歩いているうちに自分の向いている方向が変わったのか判別できない。

 ほかに道を歩く人の姿は目にしない。耳を澄ましても、人の話し声や足音、生活音も耳に届いてこない。老爺の掛け声もひとたび聞こえただけで、また止んでしまった。

 当てもなく、そぞろ歩く。年季の入った町の裏通りは、一歩一歩進むごとに景色が色褪せてゆくようだ。見上げると、民家の二階にある木製のベランダに、黄ばんだ薄いシーツが干されている。それはもう何十年もそこに掛けられたままのように見える。家々が次第に古ぼけていくように感じられる。灰色の空を背景に、屋根の輪郭が次第に綻んでいく。薄汚れた街灯には、明かりが灯ることなど永遠に無いように見える。ひび割れた舗装路に靴底が擦れて、乾いた音を立てる。立ち止まってみる。無風、無音。寒ささえ感じない。なにか、夢現といった心持になってくる。

 「もーいーかい」

 離れたところで男の子の声がする。やや間が空いてから、「まーだだよ」という、別の男の子の声が近くから聞こえてくる。我に返って辺りを見回すが、子供の姿は見当たらない。家と家との間に、子供が体を横にしてやっと通れそうなくらいの隙間があるので覗いてみたが、何もいない。足元に目を戻すと、だいぶ短くなった鉛筆が落ちている。拾い上げると、削られていない側には持ち主の子供のものらしい歯形がいくつも付いている。

 「よいよーさーれー、しゃん、しゃん」

 再び老爺の声が聞こえる。先ほどより近くなった気がする。誘われるように声のする方へと歩き出す。いくつかの十字路やT字路を曲がる。相変わらず人気は無い。時折目にする庭木は、枯れているか古い写真のように色褪せている。地区の掲示板には、茶色くなった藁半紙に墨でなにがしかの文字が書かれているが、滲んでいて読めない。なにかの広告か広報のためのポスターは大きく破れ、人の顔が写っていたらしい箇所が無くなっている。家々のガラス窓はどれも白く薄汚れている。

 「よいよーさーれー、しゃん、しゃん」

 老爺の声が更に近くなってくる。歩を進めると、道は砂で覆われているかのように、じゃりじゃりとした感触と音とを感じるようになってくる。曇った空がどこか黄ばんできているような気がする。朽ちた町の一部へと、自分が溶け込んでいくような感覚が湧き起って来る。視界に入る全てのものが、淡く黄色くなってゆく。足が砂を踏む感覚がだんだんと強くなり、体が傾いてくるように感じる。やがて、歩いているのか、宙に浮いているのか曖昧になってくる。

 「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだ」

 不意に女の子の声が聞こえて立ち止まった。崩れかかったブロック塀のある角だ。辺りを見回す気はおきない。どうせ誰もいないだろうと思う。頭はまだぼんやりしている。傍らには、黄色い郵便ポストがある。何気なくその上に手を置く。ポストの足は半ばまで砂に埋もれている。老爺の声がまた聞こえなくなった。目を閉じて耳を澄ましたが、誰の声も足音も聞こえない。

 目を開けると、ポストの上面に鉛筆らしいものでなにか文字が書かれているのが見えた。いや、これは自分で書いたものだろうか。拾ってそのまま手にしていた鉛筆を、文字を書くように握っている自分の手に気づく。それはポストの上に置かれている。だがこの文字の筆跡は、自分のものではない。子供が書いたような、歪んだ下手なひらがなで、

 “まっすぐいって”

 と書かれている。ふと見ると、正面の道はこれまでの曲がって見通しの悪い路地とは違い、まっすぐに伸びている。彼方に交差する通りを、自動車が一台横切るのが見えた。ポストに書かれた文字の通り、その道を進んでみる。

 「なーべー、なーべー、そっこぬけ」

 後ろから子供たちの歌う声が聞こえてくる。

 「よいよーさーれー、しゃん、しゃん」

 老爺の声がかなり遠くの方からかすかに聞こえる。

 「そっこがぬけたら、かえりましょ」

 背後の、子供たちの声は徐々に遠くなってゆく。老爺の声はもう聞こえない。路面からは砂のような感じが次第に消えてゆく。

 とん、と腰の辺りを軽く押された。思わず踏み出した足元を見ると、レンガを敷いた歩道があった。急に冷たい風が体を打つ。風に吹かれた空き缶の転がる音がする。自動車がまた一台通り過ぎる。道の反対側の歩道を、中年の会社員がコートの襟を手で寄せ合わせながら、うつむきがちに速足で歩いてゆく。

 振り返った正面は、シャッターの降りた商店だった。その両脇も建物で塞がれていて、今しがた通ってきたはずの路地は見当たらない。腰には、人の手で押された感触が残っている。子供の、二つの手の平くらいの大きさの。

 しばらくそこに佇んでいたが、もう老爺の声も子供の声も聞こえてくることはなかった。

この記事へのコメント

tanasinn地蔵
2016年03月03日 14:21
tanasinnはtanasinnで在り続けるからこそtanasinnである。
またそのtanasinnがtanasinnでなくなる時、そのtanasinnは
本当のtanasinnではなくなり、tanasinnとしての存在ではなくなるのだ。
つまりtanasinnとはtanasinnで在り続けることがtanasinnであるのだ。
そしてそのためにtanasinnがあり、その結果tanasinnは常に、常時tanasinnであるのだ。
そしてこの瞬間がtanasinnである事こそが本物のtanasinnであり、
また生きている意味でのtanasinnであるのだ。
Flerov
2016年03月03日 19:20
どうなんでしょう。雰囲気出てるといいのですが。
でもtanasinnという言葉は便利すぎて、なんでもそこに収束されて思考が止まっちゃいかねないような感じもするので、あんまり好きではない……かも……。